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大河ドラマ「鎌倉殿の13人」歴史解説⑪ 富士川の合戦 頼朝討伐の一部始終 平家軍を圧倒した武田信義【治承・寿永の乱】



平家のよる源頼朝討伐軍と源氏軍との争い富士川の合戦について解説。今回の動画では、その新説を解説。平清盛の命令で頼朝討伐に立ち上がった平維盛だったが…。また、この戦いで平家軍を圧倒した武田信玄の祖先・武田信義の活躍とは!富士川の合戦の一部始終を吾妻鏡やその他の史料をもとに解説する。

〇富士川の戦い
平安時代後期の治承4年10月20日に駿河国富士川で源頼朝、武田信義と平維盛が戦った合戦である。治承・寿永の乱と呼ばれる一連の戦役の1つである。
石橋山の戦いで敗れた源頼朝は安房国で再挙し、進軍しながら東国武士がこれに参集して大軍に膨れ上がり、鎌倉に入る。一方、甲斐国で挙兵した武田信義らは駿河国目代を討ち取った。その両者が駿河国で合流し、都から派遣された平維盛率いる追討軍と戦い勝利し、頼朝は南坂東で、武田信義ら甲斐源氏は甲斐・駿河・遠江での割拠を確立させた。

◆大河ドラマ「鎌倉殿の13人」歴史解説シリーズ
①戦国並みに凄い大変革期!平安末期~鎌倉 魅力的な登場人物と時代背景

②源頼朝が殺されない深い理由 その利用価値と魅力 北条政子との結婚、以仁王の挙兵

③源平合戦の開戦 大庭景親との石橋山の合戦と鎌倉政権の樹立【治承・寿永の乱】

④源頼朝を支え鎌倉幕府の実権を握った尼将軍 北条政子とは【前編】

⑤長男の暗殺…北条政子 三代で途絶えた源氏 その真相【後編】

⑥石橋山の合戦 北条義時の兄 宗時の死 源頼朝を救った大庭景親の家臣 梶原景時

⑦頼朝の勢力拡大と鎌倉入り 石橋山で敗戦後どのように勢力を拡大したのか?

⑧頼朝の人心掌握術 吾妻鏡に書かれた実像 数百の兵が2.5万に

⑨頼朝の鎌倉入りと富士川の合戦 大庭景親と伊東祐親の最期

⑩源氏一族を徹底解説「頼朝の先祖・義家、源義経、木曽義仲、武田信義、源行家…など」

⑪富士川の合戦 頼朝討伐の一部始終平家軍を圧倒した武田信義