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第25回 はるかに遠い夢 どうする家康 解説 瀬名こと築山殿の最期 松平信康の自刃 上杉謙信の急死から御館の乱 北条氏政が武田勝頼と断交から徳川家康と同盟し織田信長に鷹贈る 荒木村重の謀反 大河ドラマ



#どうする家康 #築山殿 #五徳 小田原城、散歩。小田原城三の丸外郭新堀土塁から小峯御鐘ノ台大堀切東堀、そして、小峯御鐘ノ台大堀切西堀。車に気つけよう。

第25回「はるかに遠い夢」あらすじ
武田勝頼(眞栄田郷敦)の手で暴かれた、瀬名(有村架純)と松平信康(細田佳央太)の計画。それはやがて織田信長(岡田准一)の知るところとなる。二人の始末をつけなければ織田と戦になる。それでも徳川家康(松本潤)は信長の目をあざむき、妻子を逃がそうと決意する。一方、瀬名は五徳(久保史緒里)に、姑は悪女だと訴える信長宛ての手紙を書かせ、全ての責任を負おうとする。岡崎城を出た信康もまた、逃げ延びることをよしとせず・・・。

[年表]
天正6年
4月9日 信長、右大臣兼右近衛大将を辞任したが、正二位に留まった。信長は子・信忠に官職を譲ることを希望したが実現せず。
5月29日ごろ 武田軍の先鋒・武田信豊が信濃、越後の国境付近に到着。
6月23日 深溝松平家忠、岡崎に赴く。酒井忠次より、来る7月1日に浜松城普請に来るように命じられた。家忠日記。
6月29日 勝頼、越後に出陣。御館の乱の上杉景勝と上杉景虎の調停を試みる。
6月晦日 深溝松平家忠、浜松城普請に赴く。家忠日記。
7月3日 家康、横須賀城、築城、開始。
7月15日 家康、横須賀城、一応、完成。家忠日記。
7月 西郷局、妊娠か。
8月15日 信長、安土山で相撲。阿閉貞大、永田正貞に敗れた。
8月19日 武田勝頼の仲介で、上杉景勝、上杉景虎の和睦が成立。勝頼、中立宣言。
8月21日 家康、信康父子、遠江小山城、包囲。
8月22日 別動隊の平岩親吉、松平家忠ら、大井川、渡河。駿河田中城の近辺、大規模な苅田。家忠日記。
8月24日 上杉景勝と上杉景虎が、再び、開戦。御館の乱、継続。
8月28日 勝頼、御館の乱の和睦仲介、放棄。越後から撤退。
9月 家康、遠江、駿河西部、荒らすも、城、攻略できず。
9月 家康は織田家家臣の九鬼嘉隆(くきよしたか)に「武田軍の敗北は間近だ」と伝えた(「九鬼文書」)
9月5日 家康、三河衆に命令。深溝松平家忠に家康の使者・鵜殿善六が岡崎城下に詰める必要なし、と指示。家忠日記。
9月6日 家康・信康父子、帰陣。家忠日記。
9月20日 吉田城代酒井忠次から深溝松平家忠のもとに、岡崎に詰める必要なしと伝達あった。家忠日記。
9月23日 深溝松平家忠ら、岡崎の重臣・石川数正と平岩親吉に使者、派遣。事実関係の照会。早々に岡崎城下の屋敷引き払い、本領に戻るようにと返答あり。家忠日記。
9月25日 深溝松平家忠のもとに、重臣・石川数正と平岩親吉から、本領に戻るようにと指示が来た。家忠日記。
9月26日 深溝松平家忠、妻ら、本領の深溝城に引越しさせた。家忠日記。
9月27日 深溝松平家忠、本領の深溝城に帰還。家忠日記。
10月17日 近日中に信長(御家門様)、西条(さいじょう)に来るとの知らせあり。酒井忠次、三河国内の番匠雇った。(のちに、荒木村重の謀反のため、訪問中止)。家忠日記。
10月21日 信長のもとに、荒木村重、謀反の一報あり。
10月24日 帰陣して間もない東三河衆に酒井忠次から武田軍がやって来たから明日25日までに出陣せよと陣触(じんぶれ)届いた。
10月25日 全軍、浜松城に終結。深溝松平家忠も出陣。家忠日記。
10月27日 信康も、岡崎より浜松に到着。家忠日記。
11月2日 武田軍、小山城から相良(さがら)に移動。横須賀城の近くに進軍。
11月3日 信長、荒木村重討伐に出陣。京都二条の新邸に入った。
11月10日 松平家忠が風吹砦(かざふきとりで)の在番(三日番)に入る。家忠日記。
11月15日 信康、陣中で国衆に振る舞い、行った。家忠日記。
11月晦日 武田軍、撤退につき、徳川軍も撤退。家忠日記。
12月2日 家康、岡崎城、訪問。家忠日記。
12月8日 伊丹城の戦い。万見重元(まんみ しげもと / まみ しげもと )、討ち死に。
12月19日 勝頼、駿河田中城に撤収。
12月25日 勝頼、甲斐に帰国の途につく。高天神城、小山城、田中城の後詰に成功。
12月25日 信長、安土に帰城。
12月26日 深溝松平家忠、岡崎に歳暮のため、赴く。家忠日記。
12月29日 家康、右近衛権少将となる。
12月晦日 徳川軍、帰国。
天正7年
1月1日 岡崎衆、信康に新年の礼、申し上げる。家忠日記。
1月2日 岡崎衆、浜松城に出仕。家忠日記。
1月 北条氏、家康と交渉開始。
1月5日 九鬼嘉隆が、堺の港からやって来て、安土の信長に年頭の挨拶。
1月19日 家康、岡崎城、訪問。家忠日記。
1月20日 家康、吉良に鷹狩りに出かける。家忠日記。
2月 内藤昌月(まさあき)、箕輪城城代となる。
3月3日 勝頼、北条氏政との同盟破棄、決意。氏政に対する呪詛と武田氏の武運長久祈願した願文、伊勢神宮、熊野三山に奉納。
3月18日 上杉憲政、死去。享年57。
3月24日 上杉景虎、自害。享年26。
3月 勝頼、川中島の海津城代の春日信達、駿豆国境の沼津に配置転換。海津城に側近・安倍加賀守宗貞、入れる。
4月7日 長丸(ちょうまる)(のちの徳川秀忠)、誕生。母・西郷局。族葉、他。
4月23日 武田軍の侵攻あり。岡崎衆に陣触。信康も、出陣。家忠日記。
4月29日 信康、岡崎に帰陣。家忠日記。
6月1日 深溝松平家忠、岡崎城に赴く。家忠日記。
6月3日 深溝松平家忠、岡崎城から深溝に帰還。家忠日記。
6月5日 家康、岡崎城、訪問。信康と五徳の仲裁のため。家忠日記。
6月7日 家康、霍乱(かくらん)のため、浜松に帰った。家忠日記。
7月 勝頼、駿豆(すんず)国境の沼津に三枚橋城の築城、開始。北条氏政、激怒。甲相同盟、破棄、宣言。
7月5日 家康、北条氏政との同盟(相遠同盟)の締結、だいたい達成。
7月7日 深溝松平家忠、岡崎城に出仕。家忠日記。
7月8日 深溝松平家忠、岡崎城から深溝に帰還。家忠日記。
7月16日 家康の重臣・酒井忠次が安土城、訪問。信長に謁見。家康からの馬、献上。酒井忠次と娘婿・奥平信昌も、馬、献上。信長公記。
8月 勝頼、遠江高天神城に番替衆1000人、派遣。岡部元信、相木常林(あいきじょうりん)、江馬右馬丞、横田尹松(ただとし)ら。
8月3日 家康が岡崎城を訪れた。家忠日記。
8月4日 家康と信康、激しい口論。信康は岡崎城を出ることになり、大浜城に移された。家忠日記。
8月5日 家康、松平家忠の軍勢、率いて、吉良西尾城に入城。家忠日記。
8月6日 家康、岡崎城に帰陣。岡崎城の軍事制圧。
8月8日 家康、織田家臣・堀秀政通じ、信長に信康追放、報せた。
8月9日 家康、小姓衆5人に命じて、信康、大浜から遠江堀江城に移した。家忠日記。
8月10日 家康、三河衆、岡崎城に召集。信康と連絡とらないと誓約した起請文、提出させた。家忠日記。
8月11日 家康、すべての三河衆、本領に帰した。家忠日記。
8月13日 家康、岡崎城に重臣・本多重次、置き、浜松城に帰還。家忠日記。
8月15日 勝頼、家康、近々、駿河に出陣の一報あり。
8月20日 勝頼、駿河に出陣。
8月29日 築山殿は遠江国敷知郡(ふちぐん、ふちのこおり)の佐鳴湖(さなるこ)に近い富塚村(浜松市中区富塚(とみつか))で、死去。族葉緑、他。
9月 北条氏、泉頭城(いずみかしらじょう)、築城開始。
9月2日 荒木村重、単身で有岡城を脱出。嫡男・荒木村次の居城・尼崎城へ移った。
9月3日 家康、家臣・朝比奈弥太郎泰勝、海路で伊豆に派遣。北条氏政、相互に起請文の交換。同盟成立。武徳編年集成。信長と北条との仲介も依頼された。
9月5日 朝比奈弥太郎泰勝、浜松の家康に復命。家康、家中に北条との同盟成立通達。
9月11日 京に滞在の信長に北条氏から鷹3羽。家康が仲介した。
9月13日 家康、諸将に北条氏と協同で勝頼攻めると、出陣の下知。家忠日記。
9月14日 北条氏政、家康重臣・榊原康政に書状。同盟と共同作戦の成立、喜び、今後の取り成し依頼。
9月15日 松平信康は二俣城で自害。享年21。三河物語、他。