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【江戸幕府の部屋 24】江戸幕府の旗本になった典型的な戦国大名斎藤道三子孫という旗本家について、霊夢&魔理沙にゆっくり解説してもらいます。



今回も引き続いて、旗本になった戦国大名家について、魔理沙と霊夢にゆっくり解説してもらいます。この説明の最後に今回紹介した旗本家当主たちの職歴を書き出しましたので、ぜひご覧いただきたいと思います。

タイムスケジュール
0:00 「江戸幕府の部屋第23回」
0:58 ●戦国大名斎藤道三について●
5:14 ●江戸幕府に仕えた斎藤道三の子孫たち●
11:00 ●江戸時代の井上家についてー①井上家ー●
17:08 ●江戸時代の井上家についてー②井上家ー●
25:30 終了画面
終了時間  26:14

 当チャンネルは、江戸時代の中でも旗本関連の話を、霊夢と魔理沙による座談会的な雰囲気で深堀りして、ゆっくり解説するチャンネルです。
 私の独りよがりな考えや勘違いなどそのまま発信していることも多いので、特に魔理沙には間違った発言をさせることもあるとは思いますが、コメント等でご教示いただけたら、大変ありがたく、今後の参考にさせていただきたいと考えています。またご視聴してくださる皆さま方には、今後もご視聴・応援いただけるような動画を作成し、投稿していきたいと思っています。

 今回は典型的な戦国大名斎藤道三の子孫の旗本家について取り上げてみました。今回だけでは尺が足りずに次回に持ち越ししてしまいましたが、今後ともぜひ当チャンネルにお付き合いしていただき、ご視聴くださいますようよろしくお願いします。

最後に今回紹介する①井上家と②井上家当主の職歴等を記載しておきますので、興味のある方は、参考にしていただき、ぜひ動画視聴にお付き合いいただきたいと思います。
①井上家
(1)井上利義(元和5年新規?~明暦3年4/10死去)
  元和 5年  西丸御小性組御番入
  のち       蔵米300俵を賜う
  寛永10年 2/ 7 蔵米300俵→采地500石
  寛永10年 8/ 6 御書院番朽木民部少輔組入
  明暦 3年 4/10 死去54歳
(2)井上利景(明暦3年5/19跡目~寛文元年7/10死去)
  正保 2年 6/25 部屋住より御小性組御番入
  慶安 3年 9/ 3 西丸付けとなる
  のち       再び本丸付けとなる
  明暦 3年 5/19 跡目相続
  のち       御小性組辞任小普請入
  寛文元年 7/10 死去34歳
(3)井上利盛(寛文元年12/10跡目~享保5年12/7隠居~享保13年9/25死去)
  寛文元年12/10 跡目相続小普請入
  寛文 3年11/19 御小性組大久保出羽守組御番入
  元禄12年 4/14 御目付
  元禄12年12/27 布衣叙任
  元禄14年 8/18 御先手鉄砲頭
  享保 4年 5/19 老辞寄合入
  享保 5年12/ 7 隠居 隠居料300俵賜う
  享保13年 9/25 死去89歳
(4)井上利忠(享保5年12/7家督~延享元年8/3隠居~寛延元年11/21死去)
  宝永 6年 4/ 6 部屋住より御書院番本多因幡守組御番入
  享保 5年12/ 7 家督相続
  元文 5年 4/22 老辞小普請入
  延享元年 8/ 3 隠居
  寛延元年11/21 死去80歳
(5)井上利守(延享元年8/3家督~明和4年8/4死去)
  延享元年 8/ 3 家督相続小普請組戸川内蔵助支配入
  延享 3年 7/29 御小性組阿部周防守組御番入
  明和 4年 8/ 4 死去63歳
(6)井上利恭(明和4年10/4跡目~延享元年8/3隠居~■■■死去)
  明和 4年10/ 4 跡目相続小普請組神谷与次右衛門支配入
  明和 6年 8/ 8 御小性組太田駿河守組御番入
  天明 3年 8/21 西丸小十人頭
  天明 3年12/18 布衣叙任
  天明 6年 2/28 御目付
  天明 8年 9/10 京都町奉行
  天明 8年11/ 1 美濃守叙任
  寛政 3年12/ 8 御作事奉行
  寛政10年 8/24 大目付
  文政 3年 1/25 老辞寄合入
  文政 3年 4/19 隠居72歳
(7)井上利忱(文政3年4/19家督~天保4年3/11死去)
  文化 2年12/27 部屋住より御小性組室賀壱岐守組御番入
  文化 6年 4/ 9 進物番出役
  文化10年12/12 御小納戸
  文化10年12/16 布衣叙任
  文政 2年10/ 1 嘉千代付属御小納戸
  文政 3年 4/11 右大将付属御小納戸
  文政 3年 4/19 家督相続
  文政 3年 6月  御小納戸
  文政10年12/25 西丸小十人頭
  天保 4年 3/11 死去64歳
(8)井上甚之丞(天保4年6/3跡目~)
  (現段階では諱および年齢は不明)
  文政 6年11/ 8 部屋住より御小性組堀田伊勢守組御番入
  天保 4年 6/ 3 跡目相続

②井上家
(1)井上利長(延宝8年11/27館林家臣より~元禄4年8/27死去)
  正保 3年 6/ 5 綱吉に付属され小性として召し出し
  慶安元年12/11 20人扶持を賜いのち蔵米300俵
  寛文元年 9/23 館林藩小性組組頭
  寛文元年11/ 4 100俵加増され蔵米400俵となる
  寛文 5年 3/ 4 館林藩書院番頭100俵加増され蔵米500俵となる
  延宝 8年11/10 館林藩徒頭
  延宝 8年11/27 徳松の西丸入に従い幕臣となる(館林藩徒頭のまま?)
  天和 3年閏5/28 徳松が5歳で死去館林藩無嗣絶家となる
  天和 3年 6/18 小普請松平縫殿頭組入となる(名実ともに幕府旗本となる?)
  貞享元年10/10 御書院番秋元隼人正組御番入
  元禄 4年 8/27 死去57歳
(2)井上利実(元禄4年12/5跡目~元禄15年3/16死去)
  延宝 2年 8/17 部屋住より館林藩表小性として召し出し
  延宝 8年 6/29 館林藩書院番
  延宝 8年11/ 7 西丸小性(館林藩小性?)
  延宝 8年11/27 徳松の西丸入に従い幕臣となる(西丸小性(館林藩?))
  天和 3年閏5/28 徳松が5歳で死去館林藩無嗣絶家となる
  天和 3年 6/18 小普請彦坂壱岐守組入となる(部屋住だが名実ともに幕府旗本となる?)
  貞享 2年 1/22 桐間番
  貞享 2年 3/18 御小性
  貞享 3年 9/30 罷免
  元禄元年 4/14 御小性再勤
  元禄元年12/18 罷免小普請酒井能登守組入
  元禄 2年 6/ 4 赦免
  元禄 3年 2/26 大番高木主水正組御番入
  元禄 4年12/ 5 跡目相続
  元禄10年 7/26 高直しにより蔵米500俵→采地500石
  元禄15年 3/16 死去44歳
(3)井上利友(元禄15年6/23跡目~正徳5年7/15隠居~享保6年閏7/15死去)
  元禄15年 6/23 跡目相続小普請大久保玄蕃頭組入
  正徳 5年 7/15 隠居
  享保 6年閏7/15 死去61歳
(4)井上利寿(正徳5年7/15家督~宝暦5年12/12隠居~宝暦9年8/30死去)
  正徳 5年 7/15 家督相続小普請大島肥前守組入
  享保11年 1/28 西丸新番曽我平次郎組御番入
  元文 2年閏11/23本丸へ移動
  宝暦元年 5/12 老辞小普請組川勝左京支配入
  宝暦 5年12/12 隠居
  宝暦 9年 8/30 死去79歳
(5)井上利喬(宝暦5年12/12家督~安永6年6/5死去)
  宝暦 5年12/12 家督相続小普請組川口能登守支配入
  宝暦 8年11/18 払方御納戸御番入
  宝暦10年 6/26 新番神尾五郎三郎組御番替
  安永 2年 2/13 西丸切手御門番之頭
  安永 6年 6/ 5 死去57歳
(6)井上利貞(安永6年9/7跡目~享和元年■/■死去)
  安永 6年 9/ 7 跡目相続小普請組奥田美濃守支配入
  天明 2年 5/29 西丸御納戸御番入
  天明 6年閏10/20本丸へ移動元方御納戸
  天明 7年 3/24 新番永見伊予守組御番替
  享和元年■/■  死去52歳
(7)井上利充(享和元年7/3跡目~天保15年12/■死去)
  享和元年 7/ 3 跡目相続小普請組小笠原若狭守支配入
  文化 6年 4/14 大番田沼玄蕃頭組御番入
  文化12年 8/18 駿府御武具奉行
  天保10年12/24 二丸御留守居(以下柳営補任の記載による)
  天保13年 3/20 西丸御裏門番之頭
  天保15年12/■  死去■歳
(8)井上壮蔵(弘化元年12/30跡目~)
  (現段階では諱および年齢は不明)
  弘化元年12/30 跡目相続小普請入

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