撮影日:2020年1月6日 編集日・録音日:2020年2月4、5、6、7日 #麒麟がくる #本能寺の変 #麒麟はくるのか 土曜スタジオパーク『最終回 麒麟はくるのか スペシャル』▽ゲスト 長谷川博己を見ました。斎藤道三(本木雅弘)の言葉。胸に刺さりました。NHK大河ドラマ『麒麟がくる』最終回「本能寺の変」。楽しみです!私が岐阜城に初見参した際の動画を再編集しました。なかなか外出するのが困難な今日この頃。岐阜城に行きたくても行けない方用に、制作いたしました。お役に立てれば、幸いです。麒麟がきてほしいなぁ~。。。撮影スケジュールなど、大変な状況のもと、皆さま、お疲れ様でした!!!一日も早く、正常な日常が戻りますように!!!
(追伸)岐阜城天守閣の天井に麒麟はいました!
00:00 我が敵は織田信長と申す。
00:15 岐阜公園 金華山 岐阜城天守閣
00:35 麒麟がくる 岐阜 大河ドラマ館
01:40 光秀横丁
01:57 顔ハメ看板 岐阜公園 正門
02:13 日本遺産・信長居館発掘調査案内所
02:40 織田信長公居館跡 第25回 麒麟がくる紀行
03:56 板垣退助遭難の地 板垣退助像
04:31 NHK大河ドラマ『功名が辻』山内一豊と妻・千代の婚礼の地の石碑
04:46 山内一豊と山岡景隆。山内景隆と明智秀満の船戦の新資料!
05:35 ぎふ金華山ロープウェーの発車のブザーの音
05:55 金華山には10の登山ルートあり!
06:32 外車お断りの有料駐車場看板
06:55 道三エリア 斎藤道三(本木雅弘)等身大フィギアあり
07:47 顔ハメ看板 ぎふ金華山ロープウェー山麓駅
08:29 斎藤道三遺言状(複製)
09:40 ぎふ金華山ロープウェー 大人 特別割引往復乗車券
10:37 往路!出発!ぎふ金華山ロープウェー山麓駅
14:40 ぎふ金華山ロープウェー山頂駅に到着
14:50 金華山のチャート
15:31 岐阜城 一ノ門で新発見!
16:20 岐阜城歴代城主
17:46 ルイス・フロイス『日本史』
18:20 千田嘉博・著『信長の城』(2013年、岩波新書)岐阜城を参考に
20:02 岐阜城 発掘調査中!
20:38 二ノ門・下台所の下の石垣
21:21 木下藤吉郎 千成瓢箪発祥の地
22:14 岐阜城 下台所
23:29 稲葉城趾之図
24:01 下台所から見える岐阜城天守閣と柴犬
25:40 戦国時代の井戸跡
27:19 岐阜城でくつろぐ柴犬
27:39 岐阜城の石垣を上から見る
28:00 馬の背登山道下り口
29:22 岐阜城天守閣西側の天守台石垣で新発見!
29:54 岐阜城 山上部の石垣の地図
31:00 岐阜城 天守台近くの石垣
32:18 信長公の城下町
32:59 岐阜城 山上石垣模型(岐阜県お城研究会)
33:43 信長公の先進的な政策
34:02 鵜飼いの復興
34:55 信長公のおもてなし
35:49 清須城
37:13 小牧山城
38:37 岐阜城
40:16 安土城
42:02 木造織田信長坐像(複製)
43:43 織田信長
44:27 ルイス・フロイス『日本史』
44:46 岐阜城天守閣 最上階からの眺望
49:34 麒麟がいた 岐阜城天守閣
50:09 岐阜城天守閣 最上階からの眺望
52:50 水手道(みずのてみち)下り口(めい想の小径・鼻高ハイキングコース)
53:37 岐阜城 裏門の説明 日本遺産・信長居館発掘調査案内所
55:02 岐阜城 裏門
58:30 転倒!岐阜城 裏門 上ル
58:45 転倒地点の確認!岐阜城 裏門 上ル
58:57 リプレイ 転倒!岐阜城 裏門 上ル 転倒地点の確認!
59:17 岐阜城 裏門 上ル 再び歩き出す
01:02:15 岐阜城 本丸に到着
01:02:30 日本100名城スタンプ 39岐阜城 押印 岐阜城資料館
01:02:59 天下布武のスタンプ
01:03:10 『信長 KING OF ZIPANGU』ジオラマ、『国盗り物語』
01:04:04 岐阜城 本丸井戸
01:04:15 岐阜城 本丸石垣と天守閣
01:04:25 岐阜城 石垣・井戸
01:04:53 下台所から見える岐阜城天守閣
01:08:27 トイレ
01:09:04 右・百曲登山道 左・七曲登山道 下り口
01:09:24 七曲登山道
01:09:51 ぎふ金華山リス村
01:10:06 リスのエサ
01:10:23 私の紙袋が気になっていたリスに初のエサやり
01:10:59 左腕に乗っかってきたリス
01:11:19 2匹のリスのエサ争い
01:11:41 先着のリスの勝利 エサを隠そうとするとこじ開ける
01:12:51 ひたすらエサを食べるリス
01:13:47 ほぼ1匹で完食したリス
01:13:57 私の紙袋が気になるリス
01:14:53 ぎふ金華山リス村
01:15:58 リスのエサ2回目
01:16:24 私にジャンプして飛びついてエサを食べるリス
01:16:54 とても嬉しそうにエサを食べるリス
01:17:34 リスの鳴き声
01:18:09 再び私にジャンプして飛びついてエサを食べるリス
01:18:29 新幹線のおもちゃに戸惑うリス
01:18:40 リスに触っちゃだめだよと教える私
01:18:53 二匹でお見合い中?のリス
01:19:24 金華山のリスの生態ほか
01:19:44 芸能人のサイン
01:20:30 復路!出発!ぎふ金華山ロープウェー山頂駅
01:24:05 復路!到着!ぎふ金華山ロープウェー山麓駅
01:24:29 明智光秀ポスター
01:24:46 道三公の城下町
01:24:59 岐阜城 チケット スタンプ 大河ドラマ館 チラシ
01:25:11 板垣退助像
01:25:20 麒麟はくるのか?『麒麟がくる』最終回「本能寺の変」!
[NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)最終回「本能寺の変」※15分拡大版 2021.2.7放送 あらすじ]
宿敵・武田家を打ち滅ぼした戦勝祝いの席で、光秀(長谷川博己)は信長(染谷将太)から理不尽な叱責を受け、饗応役(きょうおうやく)の任を解かれる。追い打ちをかけるように信長は、光秀と縁深い四国の長宗我部征伐に相談もなしに乗り出すと告げる。「殿は戦の度に変わってしまった」と、その行き過ぎた態度をいさめる光秀に、「己を変えたのは戦ではなく光秀自身だ」と信長は冷たく言い放つ。そしてついに、ある究極の命令を光秀に突き付けたのだった──
[NHK大河ドラマ『麒麟がくる』(2020年)第43回「闇に光る樹」2021.1.31放送 あらすじ]
もはや己の言いなりにならない正親町天皇(坂東玉三郎)の譲位を強引に進めようとする信長(染谷将太)。その責任者を命じられた光秀(長谷川博己)は、月にまで届く巨大な大木を切る不思議な夢に毎夜うなされるようになる。病の療治のため京にやってきた帰蝶(川口春奈)に、光秀は「こんなとき斎藤道三ならどうしただろうか」と尋ねる。すると、帰蝶の口から意外な答えが返ってくる。
※以下、新聞記事から。
岐阜城の一ノ門を築いたのは信長ではなく斎藤道三か? 発掘調査で判明
2021/2/2(火) 6時53分配信(CBCテレビ)
織田信長が築いたとされる岐阜城の「一ノ門」は斎藤道三が築いたとする、これまでの定説を覆す調査結果を岐阜市が発表しました。
これは、岐阜城がある金華山の発掘調査で新たに分かったものです。
岐阜市によりますと、「一ノ門」は、構造や平面図から岐阜県山県市の大桑城岩門によく似ていて、織田信長の前に岐阜城に居城した戦国武将・斎藤道三が、同じ技術でほぼ同時期に築いた可能性が高いということです。
岐阜市は、調査結果から「信長は道三を受け継ぎ、さらに発展させた城造りをした」としています。
岐阜城の一ノ門建造、信長ではなかった 斎藤道三説浮上
戦国時代に織田信長が攻略した山城として知られる岐阜城。山上部の発掘調査を続けている岐阜市は、城郭の入り口にあたる「一ノ門」は信長の3代前の城主だった斎藤道三が築いたことが確認できた、と発表した。岐阜城の構造は信長による独創性の高いものと考えられてきただけに、専門家は「これまでの岐阜城の姿を塗り替える発見」と評価している。
今年度の調査は、一ノ門(約180平方メートル)と天守台周辺(約260平方メートル)の2カ所を対象にした。
信長は1567年、道三の孫、斎藤龍興の稲葉山城(現・岐阜城)を攻め落として入城、地名を岐阜に改めた。岐阜城の天守台は信長の時代に築かれたとみられている。通説では、城郭の入り口にあたる一ノ門も、信長が造ったと考えられていた。
(2021年2月2日 17時00分 朝日新聞 松永佳伸)
明智秀満の船戦、記した古文書見つかる 光秀の重臣「湖上渡り」伝説の一端か
2020/5/29 18:41 (JST)5/30 22:31 (JST)updated 株式会社京都新聞社
明智秀満が船戦を挑んだことが記された古文書。秀満を表す「弥平次」の記述が残る(大津市石山寺1丁目、石山寺)
戦国武将明智光秀の重臣の一人である明智秀満(左馬助)が1582(天正10)年の本能寺の変の直後、瀬田城主山岡景隆に船戦(ふないくさ)を挑んだことを記した古文書が、石山寺(大津市石山寺1丁目)で見つかった。秀満は山崎合戦の後、愛馬に乗ったまま琵琶湖を渡った「湖水渡り」の伝説で知られるが、関連する史料が少なく、その生涯は謎に包まれている。専門家は「実像に迫る上で貴重な史料」と評価する。
見つかったのは、同寺塔頭世尊院の僧侶も務めた山岡家の由緒をまとめた「山岡景以舎系図(いえのけいず)」(縦27センチ、横1.19メートル)。天正19年、景隆の息子によって書かれたものを筆写した古文書で、塔頭法輪院の蔵に保管されていた。
古文書には、秀満がもともと名乗った「弥平次」の記述が登場する。光秀が織田信長を討った本能寺の変の後、安土城へと向かう秀満の軍勢に対し、信長方の景隆が瀬田の橋を焼いて防戦したことが記されている。「弥平次船に乗って湖上を済(わた)らんと欲するに」(読み下し文)と船戦にもつれた経緯を伝え、湖上で家来を討たれた秀満が琵琶湖を渡れなかったことが書かれている。
明智軍が瀬田で進軍を阻まれたことは信長の一代記「信長公記」などに残っているが、その軍勢を秀満が率い、湖上で戦ったという記録はこれまで見つかっていなかった。滋賀県文化財保護課の井上優主幹は「この船戦が、湖水渡りの伝説につながったのかもしれない」と推察する。
石山寺の鷲尾龍華責任役員は「光秀が主人公の大河ドラマが放送されているタイミングで、明智家に関する史料が見つかったことに不思議な縁を感じる」と話す。古文書は今秋に本堂で公開する予定。
岐阜城で信長時代の天守台石垣を発見 岐阜市 安土城より前の「日本最古」か
毎日新聞2020年1月7日 21時02分(最終更新 1月7日 23時21分)(を参考に、まとめました)
岐阜市は2020年1月7日、国史跡・岐阜城のある金華山 山上部の発掘調査の結果、現天守閣西側で織田信長が城主だった時代(1567~75年)に築いたとみられる「天守台石垣」が見つかったと発表した。天守閣はこれまで信長が1576年に築いた安土城が最古とされており、城郭の成立過程を知る貴重な資料としている。
岐阜市は2019年10月末から、20世紀に再建された現在の天守閣西側などを調査し、再建時に造られた石垣よりも古い石垣3段分(長さ約1・8メートル、高さ70センチ)を発掘した。これまでの周辺調査で判明している信長の築城技術の特徴である、石を垂直でなく斜めに積み、隙間(すきま)に「間詰石(まづめいし)」をはさむ石積みであることから、信長の時代に築かれたと見ている。