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コロナ禍の祈り・・・そして未来へ 東日本大震災10年(2021年3月11日)

『3.11から明日へ』2011年3月11日、大きな地震と想定をはるかに超える巨大津波が町を襲いました。震災関連死を含む、死者・行方不明者は2万2000人を超えています。

あの日から10年、各地で祈りが捧げられました。

宮城・石巻市、娘を亡くした女性:「一日一日が娘と会えなくなった日々。10年経ってしまった」

宮城・気仙沼市、母親を亡くした男性:「きのうのことのようでね。お袋を亡くしたのは自分のせいだと思い続けてきた。なかなか割り切れない」

福島・浪江町、娘と孫を亡くした男性:「これからも前向きに生きていくことが、亡くなった人への供養じゃないですか」

岩手県宮古市田老地区では、181の風船が青空に放たれました。風船の数は、田老地区の犠牲者と同じ数です。新たな防潮堤の整備は最終段階で、今月中にも完成する予定です。

祖母を亡くした男性:「子どもがおなかの中にいたんですが、10年という節目で、元気に育ってくれていますので、おばあちゃんの生まれ変わりのように大事に育てています」

去年、新型コロナウイルスの影響で中止となった政府の追悼式は、参加者を大幅に減らして執り行われました。

天皇陛下「この震災の被害の大きさは、忘れることのできない記憶として、今なお脳裏から離れることはありません。今後とも被災地の方々の声に耳を傾け、心を寄せ続けていきたいと思います」

震災当時、気仙沼市の『ホテル望洋』には、200人近い住民が身を寄せ合っていました。社長の加藤英一さんは、約70日もの間ホテルを開放し、被災者を受け入れ続けていました。ホテルは老朽化で4年前に営業を終え、加藤さんは現在、語り部としての活動を行っています。

加藤英一さん:「私らからすると、過去・現在・未来みたいな時間軸が(気仙沼港に)あるような気がして。当日、津波が来て、町を襲って、それで防潮堤ができて、ついこないだ三陸道が開通して。僕らにとって未来の希望、ここは。どうしても震災の悲惨な体験、防災減災とか教訓がメインにあるのですが、そこに留まらないで、現状の被災地の歩いている姿と、そこにいる人々の心を伝えていきたい」

福島県では、20カ所で一斉に花火が打ち上げられました。一発目はどれも青い花火で、新型コロナの治療にあたる医療従事者へ感謝の思いも込められました。犠牲者への鎮魂の思い、そして、未来への希望を込めた、花火です。

女性:「10年前は私も中学生で、子どもが10年後にできるとは想像していなかった。
[テレ朝news]