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宮原知子



宮原知子, by Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki?curid=2470180 / CC BY SA 3.0

#日本の女子シングルスケーティング選手
#オリンピックフィギュアスケート日本代表選手
#木下グループのスポーツ関係者
#帰国子女
#関西大学出身の人物
#京都市出身の人物
#1998年生
#存命人物
宮原 知子(みやはら さとこ、英語: Satoko MIYAHARA, 1998年3月26日 – )は、日本のフィギュアスケート選手(女子シングル種目)。
京都府京都市中京区出身。
関西大学(文学部)卒業。
左利き。
血液型はB型。
主な実績に、2018年平昌オリンピック個人戦4位・団体戦5位各入賞、2015年世界選手権2位・2018年世界選手権3位、2015年・2016年グランプリファイナル各2位、2016年四大陸選手権優勝、全日本フィギュアスケート選手権4連覇(2014年・2015年・2016年・2017年)など。
両親が医師という家庭に育った。
両親の都合により、幼少期から7歳(小学2年生)までアメリカ合衆国テキサス州ヒューストンで生活していた。
スケートを始めたのは4歳のとき。
両親に『やってみる?』と言われて、滑ってみたら楽しかったから続けたとのこと。
スケート教室には、5歳の時から通い始めた。
後に京都に戻り、濱田美栄コーチの元で指導を受けている。
立命館小学校を経て、関西大学中等部に進学。
2013年3月に同校を、また2016年2月13日には関西大学高等部を、それぞれ卒業した。
高校卒業時の論文は「五輪の魔物」論。
同年4月より関西大学文学部に入学。
2017年4月、翌年の平昌五輪を見据えて競技に集中するため、在籍する関西大学を休学し、住宅メーカーの木下工務店などを傘下とする「木下グループ」と嘱託契約を結んだ。
2018年2月の平昌オリンピック(韓国)をまたぐ複数年契約の予定。
日本オリンピック委員会・2017-18年度選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。
2018年4月、関西大学2回生として復学。
2019年に紀平梨花選手とともにコーセーはアンバサダー契約を締結。
2021年3月、関西大学を卒業した。
将来の夢はオリンピックで金メダルを取ること、スポーツ医になること。
趣味は料理、読書、本気のウィンドウショッピング、長風呂。
好きな食べ物はパイナップルとチーズ。
学力においては、中等部在学の頃は外部の模擬試験でも学年上位に入っていたほか、当時すでに英検2級を取得しており海外遠征においても通訳無しで対応できる。
性格は寡黙で引っ込み思案であるが、内に秘めた闘志は熱いものを持っている。
真面目で練習量も多く、黙々といつまでも練習するタイプである。
学校が終わると毎日まっすぐにリンクに向かい練習する。
そのため濱田美栄コーチから、今まで指導した選手の中で一番努力家であると評価されている。
スタミナがあり、病気とけがにも強い選手であると評されていた。
2017年1月に左股関節疲労骨折という大きな怪我を経験したときは、国立スポーツ科学センターでのリハビリを経て精神的にも大きく成長。
だがその後もケガと体調不良がことごとく続き、平昌五輪前の2017年10月に濱田コーチから宮原へ「焦らないで、5年後の2022年北京オリンピックを目指しましょう」を声を掛ける位ほど絶望視する状況だった。
それでも2017年12月の全日本選手権で4連覇を達成、平昌五輪日本代表を決めた際に濱田コーチは「スケーティングしかできない状態でも、辛抱強くできることをずっとやり続けるすごさというのを見て、私も勉強になった」と言われるまでになった。
尊敬する人はイタリアのカロリーナ・コストナー選手。
2012年世界ジュニア選手権での宮原の演技。
2011-2012シーズン、初のISUジュニアグランプリシリーズとなるJGPバルティック杯において、自己ベスト162.20点を記録し、JGPファイナルで優勝したユリア・リプニツカヤ(ロシア)に次ぐ2位となった。
11月27日、青森県八戸市のテクノルアイスパーク新井田で行われた全日本フィギュアジュニア選手権大会にジュニアとして初参戦し、13歳8か月で優勝した。
得点は、2004年に同大会で浅田真央が出した172.13点を越え、172.17点を記録し、2位に18.75点の差をつけ圧勝した。
ショートでは3F+3Tを決め、フリーでも3Lz+3Tを初めて成功させ、ショート、フリーともに今季初のノーミスの演技となった。
12月25日、大阪府門真市のなみはやドームで行われた第80回全日本フィギュアスケート選手権においては、ショートプログラム…