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「君の膵臓をたべたい」を Himawari アルバム版で。

Himawari アルバム版を「君の膵臓をたべたい」の画で聞きたくて作成。
劇中では シングル版が使用されているので、比較様にそちらも作成しました。
『「君の膵臓をたべたい」を Himawari シングル版で。』

アルバム「重力と呼吸」の「Himawari」は、全体的に手が入り、少し派手でキラキラしたドラマチックな曲調に仕上がっています

歌い方も変え、不要になった音を取り除いたりと かなり調整に時間をかけた完成度の高い仕上がりとなっています。今回はこれに画を入れました

比較するとかなりの違いがある事がわかります。
シングル版は少し派手さを抑え、話しかけるような、感情に訴えかけるような作りに聞こえます
曲調や歌い方が異なるので、おなじ映像でも微妙に印象が変わります

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中盤の「共病文庫」からの回想は、時系列で並べて一気に見せる形に整えました

じっくり見せたいシーン以外は 曲やテンポ、歌詞の力を借りて ギシギシに詰め込んでいます

ここでは 本人のカットインを優先して“桜良のマーク”は 省略しました

回想シーンの画は、数か所本編カットに差し替えて見栄えを良くしています

春樹が、様子のおかしい桜良を心配し、夜の病院に駆けつけるシーンは 前半の春樹目線と「共病文庫」からの桜良目線の両方を多めに組み込みました

終盤、桜が咲き誇る橋の上で二人が読書をしているシーン(正確には 桜良は 共病文庫とペンを持ってる)では、それぞれが相手を思う回想シーンで別アングルのカットが登場していました
今回はこの2つのカットを繋げ、後続との繋がりを少し変え、当時の春樹>当時の桜良が見つめる春樹>今の春樹>当時の桜良?をオーバーラップさせる感じにしています
この2カットは 本編との直接的なつながりが無いので、イメージカットに近いものになっています

最後のイベントも入れ込んで、大好きな ガム君のカットも序盤にねじ込みました

残念ながら映画の春樹は ガム君の事は名前も顔も忘れていたようで ちょっと可哀想でしたが、
春樹が恭子に友達の了承をもらった時、後ろでピントの合っていないガム君の表情が緩むシーンは結構好きです

今回の作業で、当初見えていなかった物が 色々見えてくるようになり楽しめました。

中でも桜良の母親の心情は少し気になりました

劇中で「共病文庫」を読み終えた春樹が桜良の母親に対し「彼女は本当は…」と尋ねようとすると、それを遮るように母親が発した言葉

「ありがとう。あなたのおかげで あの子はしっかり生きる事が出来た」

まず、彼は何を尋ねようとしたのか?

桜良は彼にはメールで「明日、退院できるって」「退院しました」と報告していました
けれど実際は「一時退院」
同じようですが、意味が全く異なります

桜良は、夜の病院に駆けつけてくれた春樹の様子を見た時から本当の病状を語らなくなりました
彼の質問「なにかあった?」「まだ死なないよね?」との質問をはぐらかしています
「あんなにほっとした顔をされたらさ 伝えられないじゃん」と書き残していますが
あの時、桜良の中での春樹の存在が更に大きくなったのだと感じ取れます

「つかの間の外出許可。もう最後って事みたい」
最後のページにも「よーし、一時退院だぁぁ!」と書かれており、春樹は桜良の嘘にそこで気づいたはずです

あの入院が「桜良の人生で最後の入院」であったことが読み取れるので

「寿命や病状についての質問」と考えるのがここでは自然な流れで映画を見ていた多くの人がそう感じたと思います

あとは「自分達の前ではいつも笑顔でいたけれど 彼女は本当は泣いてばかりいた…」という話もその先にあったかもしれません

次に母親の心情を考えると

あの子が生前語っていた“彼”は、葬儀には出席しなかった様子
1ヶ月経っても何の連絡も無い
“彼” は本当にあの子が言ったように共病文庫を受け取りに来るのだろうか
もし“彼”が現れたらどういう言葉をかけたらいいのか

母親から出た言葉は“彼” に対し ずっと準備していた言葉であると同時に、自分自身を含め、残された遺族が納得する為の言葉なのだとも感じました

母親は“彼” が現れた時にまず ほっとして、とても好意的に迎えているように見えます

普通、葬儀に顔を出さず、1ヵ月間何の連絡もよこさない“彼”に対し、もっと不信に満ちた目を向けていいはずですが 母親の表情からはそれを感じ取れません

娘への信頼度の高さもあったと思いますが、話を聞いていた“彼” に対し かなり好意的に思っていたようです

それでも多少なりとも残る不信感や不安感は 春樹の言葉と涙で、“彼” の想いを感じ取れ、彼女自身救われる思いだっただろうとも感じました
この辺はさらっと流されて詳しく描かれていません

それにしても、桜良の母は何故、“彼” についての情報を持っていなかったのでしょうか?

見舞いに来る恭子などから聞き出す事は簡単なはずなのに母親は何故かそれをしていません

その理由は「共病文庫」の中に書かれています

事前に桜良は何度も母に説明をし、恭子などの友達から“彼” についてのヒントを聞き出すことを禁じた上で「ぜったいに取りに来てくれるはずだからその人に渡してほしい」と書き残しています

つまり “彼” が現れ「共病文庫」を受け取りに来る事は 残された母親に対するサプライズでもあったわけです。

同時に、周囲の人達が持つ“彼”に関する誤った情報で 母を心配させまいとする心遣いも見えます
ひょっとすると これを利用?してサプライズっぽくしたのかもしれません

桜良は母が “彼” を気に入ってくれることを確信していた様です

「共病文庫」の序盤には、恭子がこれを読んだ時のことを考え、恭子への謝罪も書かれていますが、映画の中で高校時代の恭子にこれを読ませたかどうかは疑問です

恭子が読んだのは友達になった後かもしれません

桜良の様子がおかしかったあの日、心配した彼が夜の病院に駆けつけたけれど、理由は語らずに終わりました。

「共病文庫」にはこの日 2005年5月25日の冒頭に「寿命が半分に縮まった。」とあります
劇中では 読まれていません

映画版ではGW前に「1年もつかどうか」と説明していたので、あの日 5月25日の時点で「あと半年もつかどうか」まで減っていたことになります

一時退院は 春樹が病院に忍び込んだ日から 17日後の 6月11日
春樹が桜良の病気の事を知ったのは 4月12日 ですから
ちょうど 2カ月間だったという事になります

実写映画は原作と違い、時間的対比が追加され、桜良の発した言葉から繋がる「春樹が教師になった未来」がそこにあり、まだ「彼女の最後の謎」と「仲良し君と親友恭子への願い」は未消化のまま、伝わっていない状態から始まります

桜良と春樹 という名前の取り合わせについて、旅行の電車の中と終盤の手紙で 原作を意識して作られていることがわかります

全体的に明るい画になるよう、登場する店や場所なども明るく派手めな場所が選定され、その対比でより深い悲しみを感じさせる作りになっています。

原作小説のその後の物語が描かれた「父と追憶の誰かに」という短編(30ページほどの非売品)では、桜良の兄の存在が物語のキーになっていますが、映画では写真や葬儀のシーンでもその姿は無く、省略されているようです

学生時代のシーン。桜良が亡くなった後に初めて大人達が登場する点も、良い感じでした
事情を知っている大人や親族を登場させず、旅行先でのいざこざもなく、二人と恭子の関係をしっかり見せたのは正解だったと思います

全ての工夫が相乗効果を生み、出演者の魅力と相まって奇跡的に昇華された作品に仕上がっていると感じました

何度見直しても楽しめ、新たな発見がある名作です

※2020年9月4日の金曜ロードショー での放送告知が1カ月前から解禁されました。
これを機会にぜひ一度、もう一度見てもらいたい作品です。

映画「キミスイ」公式@kimisui_movie

Type:共病文庫編 v4.81 アルバム版  WQHD UPConv 60fps