鎌倉殿の13人のクライマックス「承久の乱」で争う後鳥羽上皇について解説。また源頼朝の死後、2代将軍となった息子の頼家についても吾妻鏡を中心に解説する。頼朝の死後、頼家は将軍についたが、それを支えるはずの13人御家人たちから、事実上の権限を奪われてしまう。そこで頼家は、それに対抗するためにあることをするが、それが後の権力闘争へのさらなる悲劇へと展開していった。…
定説では落馬によって死んだとされている源頼朝だったが、実は残された記録には、様々な説が存在している。中でも北条氏が残した吾妻鏡には、頼朝が死ぬ3年前から死に至るまでの記録が残されていない。なぜ書かれていないのか?頼朝の死ん理由は、その後政権を握った北条氏に都合が悪かったのか!番組では様々な史料を元に謎の死の真相に迫る。吾妻鏡に書かれたなかった空白の3年間に頼朝は何をしていたのか。…
源頼朝は鎌倉幕府を開き天下を治めることができたが、次第に疑心暗鬼となり、弟の範頼を粛清してしまった。これが最後の粛清となったが、今回の動画では、頼朝がどれぐらい源氏一族を殺したのかを解説。また頼朝の晩年の動きを解説。頼朝は娘を天皇家へ嫁がせるように目論んだが次々と失敗に終わる。そして志半ばで謎の死を遂げたのである。頼朝の死については記録があいまいで、様々な説がある。…
歌舞伎にもなっている曽我兄弟仇討ち事件を吾妻鏡と曽我物語から読み解いていく。幼少期に父を工藤祐経に殺され、恨みを持っていた曽我兄弟は、仇討ちを計画するが、そこに頼朝暗殺計画も加わっていのではないかという説も。そしてその黒幕は北条時政だったという異説もある。その定説と異説を吾妻鏡と曽我物語をもとに徹底解説。…
後白河法皇の死後、征夷大将軍となった源頼朝だったが、暗殺を企てるものが現れた。曽我兄弟による仇討ち事件である。実は、曽我兄弟は幼い頃、父を工藤祐経に殺され恨みを持っていた。父を仇討ちを計画しいた曽我兄弟だったが、実は工藤祐経ではなく、源頼朝を狙う「暗殺計画だったのでは…」という異説もある。今回の動画ではそんな曽我兄弟の仇討ち事件を吾妻鏡と曽我物語の史料をもとに徹底概説!…
壇ノ浦の戦いに勝利し平家滅亡の立役者となった源義経だったが、頼朝の怒りを勝ってしまい、勘当されてしまう。その理由は梶原景時、後白河法皇など様々な理由があった。番組では壇ノ浦の戦い後の義経の命運を紹介する。また日本に古来から伝わる天皇家の証しである三種の神器についても紹介する。…
源義経は平家の奪われた安徳天皇と三種の神器を取り戻すために、壇ノ浦の戦いで平家を滅亡へと追い込む。しかし安徳天皇と三種神器の行方は…。番組では最後まで奮戦した平家一門の平知盛、平宗盛、平教経らを紹介しながら、壇ノ浦での激戦を紹介する。…
平家追討での活躍が頼朝に認められなかった義経は、官職を与えられなかった。しかし後白河法皇から官職を賜り、そのことが原因で頼朝の怒りを買ってしまい、京で謹慎となってしまった。その後平家追討と奪われた三種の神器を取り戻すために、頼朝のもう一人の弟・源範頼がその役を命じられるが、トラブルにより戦に出るのが遅れてしまった。後白河法皇はその遅れに怒り、義経を勝手に平家追討に向かわせてしまう。そして屋島の戦いへ。この戦で梶原景時と対立を深めることに…。…
源頼朝と同じ源氏でありながら、対立してしまった木曽義仲がの頼朝の弟・義経と範頼によって討たれてしまった。この時、義仲の嫡男・義高は頼朝の娘・大姫と結婚し、実質的には人質の状態になっていた。父・義仲の死後、息子の義高はどうなってしまったのか。番組では木曽義高の最期について、また木曽義義仲を討ち、さらに平家滅亡の立役者である義経がどのうように兄と対立していったのか、その火種を紹介する。…
後白河法皇は、平家を倒した功績者の木曽義仲が邪魔になり、義仲追討へと動き出す。頼朝の弟・義経と範頼による宇治川の合戦で、木曽義仲は最期を迎えることに。その後、勢力を再び盛り返してきた平家軍と義経による一ノ谷の戦いがへ。ここでも義経は、とんでもない奇策で平家軍を圧倒した。番組では、この二つの戦いを中心にその歴史背景に迫る。…
源頼朝とは別の場所で、もう一人の源氏・木曽義仲は、打倒平家に向けて勢力を拡大していった。今回の動画では、義仲の動きと横田河原の戦いを中心に解説。また頼朝は、義仲の存在をどのうように考えていたのか吾妻鏡の史料を元に解説。その他、義仲が勢力を拡大できた大きな理由について紹介する。そこには、天皇家の存在が……