中国と韓国への技術支援に関する議論が行われています。日本が戦後、中国と韓国に技術支援を提供した結果、これらの国々が技術力を向上させ、軍事大国やロケットの開発などを行うようになったとされています。しかし、日本が支援した外国人技術者は、与えられた技術の価値を過小評価していた可能性が指摘されています。その一方で、日本自体も技術への投資を進め、興隆した要因とされています。また、日本のルールメイキング能力や外国との交渉における課題にも触れられています。さらに、渋沢栄一の役割についても言及されており、彼が資本主義の父とされ、日本のルールメイキングに貢献したとされています。その一方で、朱子学という考え方が江戸時代に導入され、商人や商業を卑しいと考える風潮が存在したことが指摘されています。渋沢栄一はこのような考えを変え、商業の重要性を強調したとされています。…
武田勝頼の死で天下は織田信長のものとなったかに見えた。しかし武田家滅亡からわずか数ヶ月後に本能寺の変が起きた。なぜ信長は暗殺されることになったのか。盟友だった家康、側近だった光秀、様々な説がある謎の多い本能寺の変に迫る。…
今川家から瀬名姫を奪還した家康にさらなる危機が!浄土真宗本願寺派の一向宗との争い、三河一向一揆が起きた。この戦いは家康の家臣が分裂し一揆側についてしまい、壮絶な戦いとなってしまった。今回の動画ではなぜ一向宗がそれだけの勢力をもつことができたのか、その背景を徹底解説する。…
今川義元が桶狭間で討たれた後、岡崎城主となった家康は、今川家と決別し織田信長と同盟を結んだ。しかし今川氏真のもとには妻の瀬名姫(築山御前)と長男の信康、亀姫が人質となっていた。家康は今川氏真から妻や息子を取り戻すためにある作戦をたてた。そして三河平定へと進んでいく。…